性悪女の脳内愚痴実況

InstagramのストーリーやTwitterに書ききれない愚痴を書きまくり、ストレス発散するためだけのためのブログです。完全な自己満足につき、クオリティは求めないでください。クォンティティーの方は充実させる予定です。

24歳、愛に生きるか卍に生きるか

生まれてきてくれてありがとうと、

誰かから言われる存在になりたい。

 

 

それに対して、どういたしまして。と返したい。

 

 

あまり無いやりとりだけど、こういうのに幸せを噛みしめたい。

 

 

 

なので、私の爆誕に喜びを感じる感性豊かな方は是非「生まれてきてくれてありがとう」と言ってください。

 

 

 

非常に強欲だなこれ。

皆さんにそこまでの感謝を伝えてないのに、自分だけ甘い言葉を貰おうなんてね。

資本主義に反してるね。

 

 

 

 

とやかく本日24歳を迎えたわけですが。

 

 

死ぬほど成長もしてなければ

狭くて浅い世界にて薄っぺらい生き様でやってるため、歳を食った実感がない。

 

実感がないとか言いながら、22歳を過ぎたらへんから誕生日を迎えるにつれてなんだか複雑な気分になる。

 

 

共感してくれる人いないかなあ?

 

 

誕生日に感じる複雑な気持ちを言葉にしていくっつーのが、今回の記事のメイントピック。

 

 

 

《心の拠り所がないのって複雑》

 

24歳にもなれば、

結婚前提にお付き合いだとか

早い人だと家庭を持つとか

自分にとっての大きな心の拠り所を見つけて

そこに愛情を注ぎ込んでる人が割といる。

 

 

 

もちのろんで自分は注ぎ込む愛情や熱情を持ち合わせてなければ、対象も持ち合わせていない。

 

 

 

以下見苦しい言い訳。

 

広島県在住だし!

ましてや呉に住んでるし!

出会う努力をしてこなかったし!

感性が人とズレてるし!

不器用で恋愛下手だし!

酒癖悪いし!

自分に不利なことオープンにして保険かけなきゃ気が済まないし!

仕事は忙しいし!

可愛い性格をしていないし!

 

 

 

 

私が狭い交友関係の中でしか生きられてない理由が以上。これだけじゃないと思うけど。

 

 

 

 

 

家庭に愛情を注ぐこと(結婚/出産)をゴールに置けば

間違えなく今みたいな働き方ができない。

 

私は自分に使命を課してこの業界に身を置いてる。

将来的に仕事の全体感を感じて志を持って働けなくなったら自分を許せなくなると思う。

 

 

だからおひとり様ビジョン主軸で将来の計画を立てなくちゃいけない。

 

 

 

将来的に結婚相手だとかパートナーが拠り所にならないなら何が心の拠り所になるのか。

 

 

 

今まで私の心の拠り所は親友だったけれど

 

いつでも近くにいてくれた親友もいずれは家庭ができる。

だから自分の優先順位は当たり前に低くなる覚悟をしなくちゃいけない。

 

 

 

今まで家族を心の拠り所にはしてこなかったけど

自然の摂理で、自分より早く寿命が来る。

あとは、個人的に親に頼ることが苦手。

 

 

 

今仕事が心の拠り所にはなってるけど、

将来もずっと拠り所にしていける自信は今ない。

 

 

 

趣味を心の拠り所にするのは割とアリかもしれないが、飽きっぽいので向いてない。

 

 

 

ってなると私にとって一番心の拠り所は

自分自身に持って行かなきゃいけないなあと。

 

 

自分自身を拠り所にするってどういうことなのか考えた。

 

 

自分の場合は、多分心の中にある卍精神にすがってる。そんな気がする。

 

 

もう卍とかいう言葉使わないと思ってたけど、惜しみなく使うことにする。

 

 

 

 

卍解剖学略して卍解

 

突然だけど、私は心の中に卍を飼ってる。

 

 

卍って何なのか。散々言っといてよく理解してない。

イメージ的にはヤンキーが持ってるような強がりの精神だと捉えてる。

 

 

こういう強がりって自分を助けてくれることがある。

 

 

 

仕事でミスった時とか心の中の卍は

「仕事って1人でするもんじゃねえし、お前だけが悪くない」と自分が1番欲しい言葉をくれる。

 

 

周りと自分を比べて病みそうなときには

「私は強い。だって卍だから。」と勇気づけてくれる。非常に意味の成さない文章。

 

ディスイズアペン、ビーコーズディスイズアペン

みたいな感じだなこれ。

 

 

こんな短絡的な言葉で勇気づけられる私は相当なバカだけど、

少なくとも心の中の卍が私の強さを形成していて心の拠り所になってるのは間違いない。

 

 

私の心の中の卍が繰り出す言葉って間違えなく正論ではないし、自分にとって都合のいい逃げ道でしかないんですが。

 

 

あ…

心の拠り所を逃げ道と捉えてしまうって

大分味気ない人生だなあ。少し反省した。

 

 

 

心の拠り所に傾倒しすぎても、周りが見えない人間になるし、

 

逃げ道くらいに捉えてるのがちょうどいいのかな。

 

 

 

 

心のよりどころが湯を沸かすほどの愛から形成されていれば、周りが見えないほど幸せになれるのか。ああ、悪くない。

 

 

クッソ。

 

 

今後も心の中の卍が拠り所なのか。それとも愛に目覚めるのか。

 

 

そんなん知らんわいね。

考えながら生きるのってクッソだるい。

 

 

わざわざこんな訳分かんない卍哲学語ったの

時間の無駄遣いだなってなった。

 

 

ここまで読んでくれた人、時間無駄にさせてごめんな!そしておめでとう私!!!

 

 

 

 

ドラマティックな社会人生活③(配属後編)

ご安全に!

 

ゴールデンウィークですね。

私は実家にも帰れないので、見事なまでのホーム出んウィークを過ごしてる。

 

スイッチさえ入れば、自分はアクティブな方ではあるんだけど、スイッチを入れなきゃかなりダラけるタイプ。

 

だから、この連休最高すぎる。ひたすらダラけてる。

 

自分の好きな時間に寝て起きて、永遠とご飯食べて酒飲んで。ダラダラと時間を浪費しつつ、ちょいちょい緊急の仕事をしてます。

 

こうもダラけると、社会復帰が思いやられるんですが。

 

時間もたくさんあるのでダラけの片手間で自分の仕事についてつらつらと語る自己満足回第三弾を投下します。

 

 

私の仕事は一言で述べれば製鉄所の人事。

7月から人事として製鉄所で働いてます。

 

人事っていうと「採用」のイメージしか無い人が多いと思いますが。

私のメイン業務は給与。

 

 

どんな業務をしてるかについては全部は語らない。

言うべきじゃない仕事もあるし、仕事内容言ったところで辛さ、やりがいって伝わらないので。

後半部分で一部は抽象的に触れることにします。

 

 

とにかく仕事に関して当たり前に言えることとしては、

上司に決断を任せようとか、分からなかったら聞けばいいやと他人任せに思ってる時点では成長もクソもない。

 

どの仕事にも言えると思うんですが。

 

 

自分の決断、対応に確実な根拠と責任を持って正解を取ってこなきゃ何も頭入ってこないって身をもって感じた。

(これを当たり前だと思って働いてる人の方が多いと思うんですが…クソ舐めて仕事してたのでこんなことにも気づきませんでした)

 

 

これに気づいたのは4月に会社が変わったのがきっかけ。

入社したタイミングで子会社化して、入社して半年後に吸収合併が決まった。業界編成の荒波に揉まれ、働いていてる。

 

 

元から担当業務は1人だったんですが。上司に聞ける安心感はあったし、正しい回答が返ってくるという確信もあった。

 

だから何となく業務における責任者が自分じゃない感覚がして会議中ウトウトとしたこともある。

 

 

でも、4月に会社が合併して制度がほぼ変わったことで甘い考えが通用しなくなった。

 

制度に関する今までのベースが全てゼロになった。

蓄積されていた知識は通用しない。

 

周りも新しい制度なんて把握してないから下に書いた流れで自分で正しい回答を用意するしかない。

 

運用したことない制度規程を頭に叩き込む

周知すべき事項を自分で整理

合併後の会社(元の親会社)の方を何名かを見つけてローテーションで問合せて正解をもらう

旧制度に現制度を当て込んで正しく何回も周知する。

 

この流れで対応をしていくわけですが。

 

 

自分で考えて答えを出すべきところとそうしてはいけないところがあるのも難しい。

 

(コンサルの人とかどんな状況であれ、客先に常駐して誰に聞くでもなく自分で最適解見つけ出すんだもんね、本当に尊敬する。私には到底できない。)

 

 

簡単に聞こえるけど上に書いた流れで1ヶ月以内に制度を周知を完遂するのって自分のキャパでは不可能。運用を経験せず、制度頭に叩き込むのも不可能に近い。周知した後も捌き切れない個別の問い合わせが来て、月次の業務がほとんど何もできない。

 

個別の事例に対しても全く経験値がないため

規程と照らし合わせて自分の出した回答で周知をしていいかの確認を各方面に取る。

 

 

正直心が折れた。

 

 

合併対応の何がキツいかって

周りが100ある状態から、0の自分を100にするのではないこと。

周りが0の状態でも、0の自分を100まで持って行かなきゃいけないことだなあと。

 

 

毎日死ぬかと思うけど、実際は死なないし、

秒のように時間が過ぎていくだけ。

 

 

1番ヤマだった業務としては

300人弱単位の説明会に数回立って準備、進行をした。

人前に立つの普通に苦手だけど、あまりにも切羽詰まると緊張する余裕なんて全くない。

忙しい人達の時間もらうんだから、せめて形にしなきゃとやるべき準備をするしかなかった。

 

 

休日返上で働いたけど、後悔はしてない。

 

 

あと半年乗り切れば、担当業務において所内で1番詳しい人間になれる可能性があるんだ。

 

 

2年目にして自分は叩き上げ人事になる

ってのをモチベにして今日も働く。

 

ドラマティックな社会人生活②(研修編)

ご安全に!

 

この間、就活編ということで自分の就活の時に考えていたことをつらつらと書いたのですが今回は研修の時に学んだこと、考えたことを書こうと思う。

 

 

詳しい内容は話せないし、結構漠然としたことしか語れない。

 

 

この場で語ることようなことじゃないのは理解してるけど。

 

でも改めて言葉にして発信しないと意志が弱まる気がして。

 

今バチクソ辛いからこそ心の支えを再認識したいからかきます。

 

 

《同期編》

同期を見てると、この会社はよくもまあ全国各地からこんなとんでもねえ逸材を集めてきたなと。

一芸入社なんじゃないかってくらい良い意味でアタオカの集まり。

 

社会人になってこんなにみんなで集まってワイワイやることを想像してなかったし、

 

みんなで集まって何かをすることに楽しさを感じるなんて思ってもみなかった。

 

私が心の底から同期を尊敬するのは

みんなが何かしら遠回りをして人生の選択をしていたり、何かしら特異の才能があったり、何かしら変わった趣味があったり、めちゃくちゃ博識だったり、情報感度が異常に高かったり、積極的だったり、とにかく話が面白くて、異常に酒が好きだからかなあ。

 

自分にはない部分があって、話していて本当に楽しい。何かと集まって会社の行先について語ったりとか自分の考えない視点から切り込んだ業界についての話をきくのってすごい楽しかった。

 

内定式の時、同期と合わないと思った自分のことを本当に殴ってやりたい。何をもってそう思ったんだろうね。キモイな。

 

本当に私にとっては家族より共にする時間が長くて友達を超えた存在だったんだよなあ。

 

千葉→東京→呉→大阪→名古屋→愛媛→呉

4月から6月までこれだけの場所に滞在をして

常に近くに誰かしらの同期がいたわけだもんね。

1人で自分は生きていけると思ってたけど

同期と話す安心感ってすごい。

 

近い視点で仕事に向かう姿を見られるからか

いい刺激をもらってた。

 

友達を超えた関係ってこういうことなのかなあ。

 

なんでこんなに酒とタバコが好きな人が集まったのか。

鉄鋼業界の宿命なのか?

大学時代よりも研修中の方が酒飲んでたのっておかしいと思うんだよなあ。

少なくとも、美味しい日本酒の飲み方を教えてくれたのは呉の同期です。ありがとう。

 

またみんなで集まりたいって思うけど、

もう全員が揃うことは2度とないのが死ぬほど辛い。

「ご安全に」という言葉に重みを持って発していきたい。

 

コロナが落ち着いたら大阪行って集まりたいなと思う。

 

 

 

《三交替編》

 

交替研修もめちゃめちゃ楽しかった。

ゴールデンウィーク全部潰れたのに楽しかったと胸張って言える自分が怖い。

夜勤は死ぬほど眠くて自分には向いてないと思うけど、工場夜景の一部になって働いてるのが本当に嬉しかったんだよなあ。変態だよなあ。

 

顔から鼻の穴まで真っ黒になって現場で研修したの鉄鋼マンになった気がして。なりきれてないけど。

女性が1人もいない現場に同期とぶち込んでもらって

すごく気を遣われてたのかなあと思うのだけど。

 

忘年会とか送別会にも呼んでいただけて

今も仕事上で自分に問い合わせをしてくれるのが心の底から嬉しい。

当時の班長のことは勝手に呉の保護者だと思っている。それくらいに大切な初めての上司ができた。

 

やっぱりメーカーである以上現場を知ってナンボだと強く思うし、現場が全ての起点だよね。

仕事上直接関わりがないにしても、すべては現場からの視点を持っていきたいよなあ。

 

 

《営業編》

 

3週間くらい名古屋の営業部隊に研修で入らせてもらった。

 

営業部隊ってなんでこんなに知識量がすごいんだろう。1言ったことに対して100くらいで返してくれる。疲れてるはずなのに、名古屋を楽しんでほしいと沢山飲み会に連れて行ってくれた。

私も会話のタネから沢山花咲かせられる人間になりたいなあ。忙しい中でも部下とのコミュニケーションを大事にする上司になりたい。

 

沢山の取引先で色々なことを学んだけれど

中でも小さな町工場の社長から大切なことを学んだ。

「小さなユーザーのニーズを満たすのは大きな会社では難しい。だからこそうちの力の見せ所」と。

今まで大きな単位で大きな額を動かすのが営業の腕の見せ所とばかり思ったいた。

そんな自分の固定概念をぶっ壊された。

メーカー営業だけじゃ営業なんてできないだなあって。モノを売れるのは取引先の方達のおかげなんだなあって。

 

 

錦のスナックのママにも色々なことを教えてもらった。

「世の中には夜の仕事に対して偏見を持っている人も沢山いる。私は普通じゃ経験しない修羅を歩んだけど、その分美味しいものも食べたし美味しいものも食べた。本当に良い人生」と。

さらっと岩牡蠣7万円分奢ってくれた。

こんなに男前な女性を初めて見た。

 

職業で態度を変える人がいるのは解せない。

自分の違う境遇の人にマウント取ったり、貴賎の判断するってナンセンス。

私もママみたいに誰であろうと暖かくもてなして、何かを与えられる人になりたい。

名古屋生活を楽しいものにしてくれた営業部隊の方達とママに感謝。

また名古屋に行ったらちゃんと仕事をするようになった自分の姿を見せにいきたい。

 

ここには書けないけど、お世話になった方たちも沢山いて。

配属されるでもない新入社員のひよっこ相手に

仕事面でも指導してくださって飲み会でも一緒に楽しんでくださった部長。自分がもう一度心からお礼を伝え、近況報告できる場面なんてないのかもしれないけれど。

とにかく本当に恵まれてた。人の暖かさに触れて、人の考え方に触れて自分の固定概念ぶっ壊す機会を頂いた。

 

 

 

 

 

研修中に学んだことが今の心の支えになってる。

研修中にお世話になった人が自分の目標になっている。

 

 

自分が辛い時、研修中にお世話になった人の顔がよぎるんだよな。情けない報告したくないからまだやらなくちゃだよなあ。ああ、人生たいぎい。

 

 

 

ドラマティックな社会人生活①(就活編)

みなさん、「ご安全に!」

 

社会人迎えてもう一年経つのかと思うと

感慨深さと焦りと様々な感情に潰される。

 

そういえばこの自己満ブログで仕事について詳しく書いてなかった。

だから、仕事について真面目に書こうかなと。

 

1年間振り返ってみても、24時間365日仕事のことを考えない事はないくらいには仕事中心に生きている。というか周りにそれ以外に考える娯楽がないから考えざるを得ないというのが正しいかな。

 

 

仕事で毎日自分の至らなさに直面しては、どういう行動をとるべきだったかをシュミレーションする。

それなのに、過去にしたシュミレーションが活かされず反省が蓄積される毎日。

瞬発力のある人がひたすらに羨ましいんだ。

 

今どちらかと言えば自分的にメンタルが落ちてる。そんな状況で支えになるのがフレッシュな頃の自分が持っていた考え方、もしくは未来への希望なんだよなあ。

 

でも未来への希望が薄い今、過去の自分の意志を貫き通すことをモチベーションにして生きてる。

 

 

そもそも私鉄鋼業界に就職したんですけど

なんで?ってなるじゃないですか。

業界的に「オワコン」と言われているし、

女性が働くイメージも全くない。

 

鉄鋼業界そして弊社にたどり着いた遍歴を語ります。あくまで備忘録的な感じなので自己満足。

これを読み返して自分のモチベにする。

 

すごく長くなりそうなので

この記事では入社するまでを書く。

 

《商社を片っ端から受けた就活時代》

自分が直感的にカッコいいと思うか否かで志望企業を選んでた。

自分がカッコいいと思う企業は大抵が

大きな金額が動いて利益を起こしてて、経済的にも生活的にも社会的影響力が大きい企業。

って感じだった。

その中でも当時強みだと思ってた「足と頭をひたすら使うバイタリティ」が活かせるところってなったとき、商社がドンピシャだと思った。

 

どうせ国益に貢献するなら額がでかいほうがいい。

そこで鉄鋼•化学•エネルギーが選択肢に上がった。

 

この中でも鉄鋼が1番カッコいいと思った。

「鉄は国家なり」の古い考えが頭の中にあったのもそうだし、歴史から見ても産業の礎は鉄鋼だと信じていたから。あと、修学旅行で行った製鉄所のイメージが産業のイメージとしたインプットされていたというのもある。

 

ってことで片っ端から鉄鋼商社を受けた。

でも全部落ちた。

 

最後に落とされた商社の面接官に言われた。

 

「商社マンは商材に強いこだわりを持つべきでない。お客さまがこれを売ってくれと言ったら自分が想像しているものじゃなくても売る。売れるようにルートを作る。これが商社マンの仕事。こんなに商社受けてるのに理解してないの?」と。

 

 

本当に遅かったが

商材に対して異常に強いこだわりを持ってる自分がやりたかった仕事はメーカーの営業だったんだと気づいた。

因みに面接解禁日を数日過ぎた頃に気づいた。

 

大急ぎでまだ募集してる鉄鋼メーカーに片っ端から出した。

内定を頂いた鉄鋼メーカーで志望動機を話す自分と面接官の反応がリンクしていた感じがしたのを今も覚えてる。

 

そんなこんなで鉄鋼業界に身を置く流れとなった。

 

 

《その中でも弊社を選んだわけ》

 

就活生がよく聞く

「御社に入社を決意した理由は?」

の質問に対して「人です」と答える社会人が山ほどいる。

「人です」と言う回答が返ってくるのに聞く就活生に当時違和感を持っていた。

今となって感じるのは、会社の「一部の人間」に魅力を感じて入社をした社会人がおかしい。

 

人事で会社を判断するってリスキー過ぎないですか。

長い間会社にいると社風に染まると言う意味ではあながち間違えではないけど、同じ会社でも人の考え方なんてバラバラなわけで。

会社についてみんながみんな同じ考えを持ってるわけないじゃないですか。だから1人の発した言葉で判断すべきではない。

しかも心の内を全て就活生に見せるわけないし。

 

 

ここまで言えばわかると思うんですけど

絶対に組織を人の言葉だけでは判断しないって言うのが私のポリシー。

 

なぜ弊社を選んだかと言うと

まず、会社の営業のスタイルが特異だったから。元々商社に行きたかったって言うのもあって、あらゆる方向の関係者をお客様として認識して人と人との繋がりでシナジーを起こしてる姿勢が理想像とドンピシャだった。だからこの会社の看板背負って営業をしたいと思った。

フロントだけじゃなくてミドルもバックもここまでするかってほど人を大切にする。

ミドルの人たちは「無理です」と言う言葉を簡単には絶対に発しない。限界近くまで現場と顧客と調整をする。

バックというと就活生から1番近いのは人事の採用担当。どんなに受験者がいてもサイレントなんて絶対にしないと言われた。就活生の方も弊社製品のエンドユーザーの方という意識をみんなが持っているからと。

どこの部門でも私はこの会社に誇りを持って働けると思った。

 

振り返ってみたら私も人ベースから会社に惚れ込んだ部分もあって人のこと言えなかった。

組織としての共通の考え方が各部門の行動や考え方に反映されているというのを、踏まえて会社に惚れ込んだ点では問題ないかなとは思うけど。

 

 

入社までに持っていた考えを振り返ったみたけど

ここまで考え抜いて自分の将来の選択をしたんだから過去の自分の意思は尊重したい。過去の自分を裏切るような行動は絶対にしたくない。「この会社で働く自分」に対して誇りを持つのも納得する。

 

仕事がしんどくて、自分が何を考えていたのかなんて気にする余裕もないこともあるけど。

 

ふとした時原点回帰できたらなと思う。

超ざっくり酒で2019年語る

2020年明けましておめでとうございます。

 

 

2019年みなさんはどんな年を過ごしましたか?

 

私は例年通りクソみたいに酒を浴びた一年でした!!!!

 

 

私と同じ代の人達は社会人一年目を迎えた2019年。

 

 

私も含めどうやって自分を輝かせるか…ってのを血眼で追究していたと思うんだよね。

 

 

自分の強みが何かなあと考えた時、

私の場合は

 

大抵の人間より酒が好き。どんな酒でも喜んで飲める。どんな飲みの場でも全力で楽しめる。そこから謎に深い人間関係築いてる。

 

 

こんなところかなあと。

 

 

 

ちなみに12月は15回の飲み会に参加をしてた。

 

 

 

残業22時帰宅か、定時退社で飲み会参加の24時帰宅か。金曜は朝まで飲み会か。といった生活をしていた割には

 

毎日エブリデイ人生超ハッピー!

と思っていたので相当頭悪いなあと思います。

 

 

 

こうなると

「私のアイデンティティ酒じゃね…」って

なってくる。

 

 

 

私の話の起点って

酒しかないことを前提にしますが、

 

 

呉でのアンビリバボー体験を紹介する。

いつも通り酔っ払って家まで歩いて帰宅が

たいぎい(だるい)と思ったため、

 

近くに止まったタクシーに乗車。

 

いつも通り運転手と世間話して、自宅付近に到着。清算しようとメーターを見ようとするも

 

 

メーターが見当たらないんだ。

 

 

 

「え、いくらですかー?」と運転手にきいたら

 

「いや、うちタクシーじゃないから」と。

 

 

 

時が止まった。

 

 

 

私ただの黒クラウン止めて乗車してた。

 

 

 

 

全力で謝り自分の無事を神に感謝して下車。

 

 

 でもとりまみんなも気をつけてくれよな!!!

 

 

2020年もよろしく頼むぞーー!

入院した話

ちょいちょい体調崩すタイプだけど

 

がっつり崩して入院したので

状況報告。

 

 

前もっていっとくけど何も面白くないから

読み飛ばしてね。

 

 

事の次第としては

仕事のストレスから来た体調不良を

ほったらかしにし、

免疫がた下がりして、感染症が悪化。

 

 

先月の月初なんて

9月1日から38度叩き出した。

 

朝起きた瞬間の絶望。

 

 

働ける体調ではないが

休むなんて言えない。

 

 

途中ぶっ倒れそうだったが

栄養剤、解熱剤、点滴でなんとか月初をクリアした。

 

 

が!それで体調が良くなるわけでもなく

なんとなく毎日体がだるい。

 

 

そんな状態で迎えた10月1日。

1日目の仕事を終え、明日に向けて異常に浮腫んだ足のむくみを

 

取ろうと入念にマッサージしてた。

 

 

そしたら、足の付け根に違和感がある。

触ってみたら、

 

 

1センチ大のパチンコ玉みたいなしこりが埋まってた。

 

一瞬でまずいと察して

速攻グーグル先生。

 

鼠蹊部のしこりはリンパの腫れだと知り、

他のリンパも確認してみる。

 

 

もう一発目からヒット。

首にコブのようなしこりができてた。

 

 

気持ち悪いと思いながらも

体調に異変はなかったので

そのまま寝た。

 

 

しかし

朝起きたら38度。

 

 

またかよ。と思ったが、

今回はレベルの違う倦怠感。

立ち上がるのがやっとのレベル。

 

 

仕事の合間に会社の診療所に立ち寄ると

今すぐ大きい病院行ってくださいと

 

紹介状を渡された。

 

 

その日は半休を取り、病院に行って

CTも血液検査もしたが

 

対症療法しかできないと言われ、帰宅。

 

 

 

次の日出社するも、働ける状態ではないため退社。

 

 

その次の日は休みをもらって、死にそうになりながら病院に行った。

 

 

異常な高熱と鼻腔、咽喉の腫れ、リンパの肥大、食事が取れないこともあり

 

 

緊急入院が決まった。

 

 

入院初日

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熱も腫れもあるが、わりかし元気。

 

 

2日目

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呼吸器なしでは酸素を取り込めなくなる。

アタオカレベルにリンパが腫れる。

 

 

3日目

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呼吸器のグレードが上がる。

解熱剤があまり効かず、ステロイドを打ち始める。

 

 

4日〜6日目

 

しんどすぎて写真なし。

ステロイドが、切れると涙が止まらない。

寝汗が異常。等身大の自分の形した世界地図を描く。

 

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7日目以降

 

クソ元気。早く退院させろ。

 

 

 

といった感じでした。

 

 

 

 

 

 

明日の採血次第で退院決まります。

 

 

絶対退院したい。

自由の葬式

部活の先輩が

学生生活最後の方のことを

 

「自由の葬式」

と呼んでいた。

 

 

 

このネーミング結構好きだから

使わせてもらってる。

 

 

 

先輩が言ってた「自由の葬式」を私は

思い出整理と反省、

そして気持ちの切り替えに充てる。

 

 

 

 

入学式は盛大に遅刻をかまし

 

卒業式は気がついたら明治学院大学のトイレでぶっつぶれてて

 

やばいと思って学食で爆睡をキメ、

明学の卒業証書授与式に行った

そんな学生生活。

 

 

 

とにかく私のことを退学にしなかった理科大の器のでかさには感謝しかありません。

 

 

 

クソほど辛いとか言いながら

原稿1ミリも暗記しなかった卒論発表会で

教授陣に「つまんない研究」って

ドヤされたなあ。

 

 

学位記の真価ってやつを感じるよね。

 

 

 

思い返すと

相当おかしい生活してた。

 


荒んだ生活もこれで卒業。

 

 

 

今までの生活を反省する。

 

 

 


前髪カツラで過ごし、

授業中寝るとき堂々とカツラを外し、

周りを驚かせて授業妨害するとかもうしない。

 

 

 


尿路感染症にかかり、

先輩と同期に迷惑をかけながら、

部活の合宿を最終日で無念のリタイアするとかもうしない。

 

 

 

 


総武線の中で吐きそうになって、

オール中に脱いだパンツが入ったビニール袋の中にゲロ吐いた結果、

ノーパン登校するとかもうしない。

 

 

 


ノーパンでゲロ吐きかけながら

筆記用具を知らない人に借り、

意地で中間試験受けるものの1問も解けず、

0点取るとかもうしない。

 

 


そんで 

知らない人の筆記用具を

借りパクとかもうしない。

 

 


ノーパンながら

持ち物のノーパソ忘れるとかもうしない。

 

 

 

 


「教授に言われた」 って学務に嘘ついて

研究室まで学内便(大学負担)で

診断書(仮病)を郵送したのにもかかわらず

出席日数不足で単位落とすとかももうしない。

 

 

 

 


論文に必要な本を

1年半以上借りパクして

図書館から助教にまで連絡させるとかもうしない。

 

 

 

 

酒癖に関しては治す方法を教えて。

 

 

 

 


こんなクソみたいな私に

勉強を教えてくれた同級生、

話しかけてくれた人、飲んでくれた人、

 

 

皆さまに感謝が止まらない。

 

 

 

 

 

反省も終わったところで

私の4年間起こったことを備忘録として

ここに残しておく。

 

 

 

宇都宮線高崎線間違えて

鴻巣まで行った結果、

大学の初日の登校日に2時間遅刻かまし

友達出来ないと諦めて1人でポケモンやってたなあ。

 

 


でも遅刻仲間と仲良くなって

一緒にラグビー部入ったなあ。

 

 

 


ビー部の先輩の酒の飲み方は芸術だったなあ。

 

 

 


前髪切りすぎて前髪だけカツラで生活してたなあ。

 

 

 

占い行って泣かされたなあ。

 

 

 


病みながらクリスマスと正月犠牲にして11連勤してたなあ。

 

 

 

 

クリスマスに胃腸炎を我慢して働いて

ご褒美に買ったキレートレモンを飲んだ瞬間

新宿の横断歩道のど真ん中で吐いたなあ。

 

 

 

 

随分と一方的な恋愛したなあ。

 

 

 

 

彼氏の誕生日にディズニーのペアチケットを買った2時間後にフラれたなあ。

 

 

 


バイトで地元の子たちと仲良くなって

色々な遊びを教えてもらったなあ。

 

 

 

 

8中の女たち愛してるんだよなあ。

 

 

 

 

20歳になってからいろんな世界を知ったなあ。

 

 

 

 

見た目と服装にダメ出し食らって

生まれて初めて可愛くなる努力したなあ。

 

 

 

 

情報コースの人とずっと一緒にパソコンいじってたなあ。

 

 

 

 

WindowsMac二台のパソコン持って通学してたら肩が逝ったなあ。

 

 

 

 


プログラミング課題でエラー出しまくって

毎週徹夜してたなあ。

 

 

 

 

「ファッキントッシュ」以外の言葉を

口にしなかったなあ。

 

 

 

合宿で全裸になった部員の写真撮って

部活停止になったなあ。

 

 

 

 


とにかく夜中に地元でドして朝帰りしまくったなあ。

 

 

 

 

二丁目のバイに人生ディスられて萎えたなあ。

 

 

 

 

大2の12月に部活辞めたなあ。

 

 

 

 

 

14ミリのマツエクバッサバサに生やしてたなあ。

 

 

 

 

スノボ行ってリフト降りた瞬間に

コケて骨折したなあ。

 

 

 

 

友達のお父さん職場の飲み会になぜか参加したなあ。

 

 

 

 

徒歩15秒の友達の家に入り浸ったなあ。

 

 

 

 

18きっぷで一人旅して

下呂のおじさんに3軒連れて行ってもらって

タクシー代も出してもらったなあ。

 

 

 

 

部員の実家に泊まったなあ。

 

 

 

 

 

家にアメリカのJKがホームステイに来たなあ。

 

 

 

 

 

聖蹟、ヤビツ、チェックメイト湘南平、フル公、ほったらかし、有馬、江ノ島

色んなところまでドしたなあ。

 

 

 

 

不倫風カップルに向かって

ブレーキランプ五回点滅アイシテルのサイン

したなあ。

 

 

 

バイパス入ったら浜崎あゆみのBLUE BIRD大声で歌って、「坂田コール」したなあ。

 

 

 

鬼のバイト戦士と化したなあ。バイトの人間関係に本当に恵まれたなあ。

 

 

 

 

鈴木拓と付き合ったなあ。

 

 

 

ウェブテ解いてもらって本物の理系の威力思い知ったなあ。

 

 

電話一本で別れたなあ。

 

 

 

 

死ぬほど東京タワー行ったなあ。

 

 

 

 

就活辛かったなあ。

 

 

 

 

 

ストロングゼロ芸人してたなあ。

 

 

 

地元の卍達が1番の親友になったなあ。

 

 

 

 

就活で出会った人が大事な友達になったなあ。

 

 

 

 

四国を車で累計3.5周したなあ。

 

 

 

 

自己啓発団体みたいなやつに入ったなあ。

 

 

 

 

草野球観に行っては酒を浴びたなあ。

 

 

 

 

他大の飲み友達ができたなあ。

 

 

 

6月1日の面接で隣座ってた人が

親友になり、彼氏になったなあ。

 

 

 

12月に毎日のように忘年会呼ばれたなあ。

 

 

 

 

沖縄旅行行ってバカみたいに飲んで

タクシー濫用したなあ。

 

 

 

 

西ヶ原四丁目に住んでたアタオカガイジと知り合ったなあ。

 

 

 

 

坂戸に住む鬼のフットワーク軽いバチクソ可愛い後輩と知り合ったなあ。

 

 

 

 

4人で次の日のこと全く考えず、浴びるように酒飲んだなあ。

 

 

 

白塗りした挙句、記憶7時間くらいぶっ飛ばして達成感と寂しさでわけわかんないなあ。

 

 

 

 

 

18きっぷで日本縦断したなあ。

 

 

 

 

 

 

立川、飯田橋、久喜、新橋、西ヶ原四丁目、

桜上水武蔵新城、水道橋、北千住、弘明寺荻窪高田馬場、新宿、大宮、上野、渋谷、

坂戸、西馬込、武蔵小杉、武蔵境、所沢

 

 

 

 

この駅聞くと

エモさを感じるようになっちゃったよ。

 

 

 

 

友達と飲んだ場所、暴れた場所。

とにかく、何かしらの思い入れのある場所。

 

 

 

 

楽しい時間をありがとう。

 

 

 

 

 

 

もう東京に二度と帰ってきたくない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と絶対に思わせない仲間に出会えたことが

私の財産です。